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『HOOP#006 美術の時間』
+100P企画第6弾 2015年春~

教室スタート 2014年春~
本企画スタート 2015年春~


【概要】2014年春。+100Pで美術の教室をしてみようということになりました。多くの美術教室がありますが、それらと芸術とがどのように関わっているのだろうかという点について考えてみる必要があるように感じているということ。それから、美術を志している人の多くが、教えることを生業としている点も気になります。美術はもともと教えるということと親和性があり、たまたま今の社会では、美術教室という形を取り入れやすかったとも考えることができます。このサイトでは、教室を通して考えたこと、発見したことなど、教育と芸術という観点から綴ってみようと思います。この視点からでないと見えてこない美術もあるかもしれません。この『HOOP#006美術の時間』は、教室で教えることと、教室をすることを通して思考した結果を文字にするという2つのことで進めていこうとするものです。

【更新日程】不定期更新(月に1回を目標)

【教室ウェブサイト】http://plus100p.com/class/index.html

流鏑馬に挑戦

ほそぼそとした美術教室を続けていますが、今まで、まともに告知をしてこなかったので1人しかいないのです(本当にそれだけが理由なのか??)。しかし、その1人はもしかしたら、天才なんじゃないか?と僕は思っていたりして、けっこう楽しくやっています。最初は美術教室のつもりでしたが、小学生低学年の子だし、今は図画工作のようなことをしています。今日は、流鏑馬にトライしました。適当につくった弓矢は、けっこうな武器でした。11427230_922127874518102_7723443034092915109_n

美術教室と学校教育の違いについて考えてみた

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僕は高校の非常勤講師で美術を担当している。美術の非常勤講師というのは、けっこう貧乏な職業で、いろいろ他のバイトをしてみて思うが、金銭的にも精神的にもかなりしんどいほうの仕事だと思う。非常勤講師はバイト扱いなので、担当の時間だけ行けばいいというものだけれど、実際にはそういうふうに単純な勤務体系になっていないので、結局1日中いなくてはならなかったり、自宅でも仕事の残りをしたりすることもある。当然、ボーナスや社会保険などもない。じゃあ正規の教員になればいいじゃないか。と言われそうだが、かなり狭き門で、僕のように頭がよくない人には、そう簡単ではない。それに、その狭き門も、今は完全に閉ざされており、採用人数は何年もずっと0人だ。だからというわけではないが、せっかくアトリエを借りているし、美術の教室を開いたら、少しは小銭が稼げるし、自分のスキルも生かせるし、いいではないか。というくらいの安易な気持ちで構えていたら、割とすぐに人の繋がりで生徒を紹介して頂けることになり、1人の女の子が来てくれることになった。もう1年以上になる。彼女は小学生低学年なので、美術と言われてもよく分からないだろうし、そもそも美術に興味があるのではなくて、工作をしたり絵を描いたりすることが好きで来ているのだから、美術についての小難しい話などは必要ない。なので僕としては、小学校で行われている図画工作の強化バージョンのようなことを毎回用意できたらと思っている。

図工にしても美術にしても、学校で行われている教育と、美術教室というのが大きく違う点は2つある。1つ目は、生徒は自ら望んで通っているという点。これは大きい。小学生なら工作や絵を描くことを自然にできる子がまだたくさんいるだろうが、中学・高校となると立派な苦手意識が植えつけられていて、やりたくない生徒が多いのだ。そもそもやる気がないところからのスタートなので、教える内容も貧しいものになりがちだ。しかし、苦手意識だけならば、こちらが気の効いた教材や話を用意し続ければ、少しづつ変化してくることもある。一番の問題は、何の意味があるのか?ということへ向いてしまっている生徒だ。こうなるとかなり難しい。このような人は、おそらく効率や利害を重視した生き方になるのだろうが、美術というのは、こういった性質をあまり持ち合わせていない。むしろ、美術では、効率と利害を重視した生き方を否定することに意味が生まれてくることはあると思う。2つ目は、美術教室では、学校教育法などのルールにのっとって教えなくてはならないという縛りが無いので、自由なスタイルで進めていくことができる。僕が思うに、評価をすることを前提にした指導を行わなければならないのが学校なので、そうすると、基本的には分かりやすいことしか扱えなくなる。また、作品の評価というのはいつも主観的に判断するだけなので、5段階評価の数字など、美術においては本当は何の意味もないのにも関わらず、生徒には無駄に苦手意識を植え付ける効果がある。なんの意味があるのか本当に理解できないが、授業の結果どのようなことが養われたかという効果を期待している人というのは、数字でしか理解できないのだろうから、そういう人には役に立つのかもしれない。どちらにしても、その数字に意味はないのだけれど。この2つの違いは、もの凄い違いで、学校の美術と、美術教室は、全く違うものなのだ。「同じ美術だろ?」と思われるかもしれないが、教える側も教えられる側も全く違うことをすることになると思う。

このように考え、この+100P美術教室では、どのようなことにチャレンジしていけばよいか、毎回考えさせられています。学校で学んだ美術という科目と、全く別物としての美術教室を創り上げていきたい。そう思うのでした。

あ。上の画像は、教室の様子です。この子は、もしかしたら天才なんじゃないか。とひそかに思っているのですが、いつも、造りたいものがある子なので、僕はそのイメージを形にするお手伝いをしているという感じでしょうか。今は1人しか生徒がいないので、1対1でゆっくり作業や話ができるので、このようなスタイルで毎回進めることができています。この子にとって、今はつくることが楽しい時期なんでしょうが、それがいつか想像することが楽しい。考えることが楽しい。と変化していけばいいなあと思っています。今から、どんな大人に育っていくのか楽しみです。

(テラエ)